香水とロックスターとおじいちゃん


急に話は変わって。私事ですが、4月末に祖父が93歳で亡くなりまして。
大往生だねとかよかったよとかあんまり苦しまなかったしとか。
そんなのはこっちの勝手な解釈でしかないような気もするなーとか。
全然おじいちゃん孝行できなかったなーとか。
亡くなる前の晩に病院で握った手は温かくて力強かったなーとか。
全然会ってなかった親戚と再会できたり皆で集まって語れる場を作ってくれる
のが死でもあるんだなーとか。結果として、老いて死ぬのは自然な事だしなとか。
色々とぐるぐるしたGWでした。いっぱい泣いていっぱい笑いも食べもしました。


そんなぐるぐる中にロックスターの訃報をついったーで知り驚きました。
私は今まであの方の曲をほとんど聴かずにここまできた音楽歴なので、
とても大雑把な知識しかもっておらず、ただ驚いた、というのが正直なところ。
好きなのは「サン・トワ・マミー」(「やっぱり猫が好き」経由で)と、
「デイ・ドリーム・ビリーバー」(これはカップ麺のCM経由で)。
どちらもカバーだったりして。この2曲はほんとうに好き。
他の有名な曲もいくつかは知っているけれど。
そんな程度の知識と思い入れなので、ついったーでも日記でもその事に触れる資格が
ないなあと思って控えてました。残念だな、とは本当に思うけれど。
それよりもガンて本当になんて残酷なんだろうと改めて色々思い出したり。
周りもTVもラジオもすごく哀しんでいて、ちょっと取り残されたような気分に。
みんなそんなに聴いたり影響を受けてきたんだなあと今更驚くばかり。
で、私はなんで聴いてないんだっけ?とか。
尾崎豊の時や、HIDEの時も同じ気持ちだったけど。


おじいちゃんがお棺に入り、最後に好きだった碁の本を入れた時と、
みんなで沢山の花々を入れた時が一番泣けた。
色とりどりの花に囲まれたおじいちゃんは何故か綺麗な女の人みたく見えて。
ミレイのオフィーリアとかクリムトの絵みたいな感じがしたのです本当に。
(全然外人ぽくないし、女性でもないのでおかしいんだけど。)
いちばん大人たちがわあわあ泣いてしまった、花を入れているあいだ、
甥っ子1号の事など目に入ってなかったのですが、後から「俺は全然泣けなかった・・」
と妹に残念そうに伝えてきたという事を知り。
哀しい時に、泣かなきゃいけないわけじゃないんだよと教えてあげたそうです。


当然ながら、ファンの人の気持ちを害するつもりは全くなかったけれども、
ついったーに興奮してアホの子みたいに香水の事を書きまくってしまい。
合間合間にファンの方の告別式の様子が挟まれて、ああなんか、ちょっと申し訳ない・・
という冷水を浴びせられた気分に一方的に陥ったりも。
そういう時、ついったーの様なものは、すごく気まずい仕組みだなあと思ったり。
まあ、そんな事は気にしすぎなんだろうけど。
ロックスターの死について、このおいてけぼり感はなんだろう・・私だけ?
と思っていたら、他にも同じ様に思っている人たちがいてちょっと安心したり。
甥っ子1号(7歳)と同じような気持ちを経験しました。(こっちは三十路だが)
考えたら好きなカバーの2曲は、どちらも昔を思い返す内容で。
日本語の訳詞がいいなあと急に今頃哀しくなりました。
兎にも角にも、ロックスター&おじいちゃんに献杯します。